【メッシュワークのみちすがら。】天使のなかの天使
大学生の頃、神保町の喫茶店で夜遅くまでアルバイトをしていた。それはコロナ前のことで、店は夜の十時頃まで営業していた。今では個人経営の喫茶店がそこまで遅く営業していることは珍しいように思うが、当時の神保町にはまだそういう店があった、というか、それが世間では普通だった。

神保町より。撮影=北村
店のマスターは、真偽の程は定かではないが、本人によれば丹下シューレの出身で、建築を学んだという人物だった。僕は当時から磯崎新に関心があったので、マスターには気に入られていたように思う。そのため、マスターが店にいる日は、代々木競技場や神保町の建築物についての話を椅子に座ってえんえんと聞いているだけで仕事はオーケー、という日もあった。一方、そのラッキーな日を除けば、当然ながら普通の接客業務が待っていた。
僕にとってそれは人生で二番目のアルバイト先で、最初は塾講師をしていたのだが、思いのほか大変だったため、起業するので忙しくなる、などという嘘をついてすぐに辞めてしまった。別に起業するわけではなかったが、穏便に辞めるための上手い理由がそれしか思いつかなかったのだった。その後、どういう経緯だったか、神保町の喫茶店で働くことになったのである。
この店には、制服らしい制服がなかった。正確には、店の名前が入った鹿の子生地のTシャツだけが支給され、それ以外は私物を着るという決まりだった。Tシャツは黒とも紺色とも言い難い、何とも形容しがたい色をしており、しかも以前のアルバイトが着ていたもののお古だったから、コーヒーの匂いが果てしなく染みついていた。僕はそのTシャツに私物のスラックスを合わせ、足元には白いオニツカタイガーのコレソンを履いていた。
初めのうちは、服装以上に、どのように「店員」として振る舞えばよいのかがわからなかった。とりあえず、接客業なのだから愛想よくすることが大切なのだろうと考え、お客さんにはできるだけ笑顔で話しかけ、注文を受けるときにはハキハキと返事をするようにしていた。自分としては、それなりに熱心に仕事をしているつもりだった。
ところが、ある日、五十代くらいの女性の副店長に注意された(僕は副店長にだけはあまり好かれていなかった)。そんなふうに自分を出すのはやめなさい、というのである。お客さんに必要以上に話しかける必要はないし、無理に愛想よく振る舞うこともない。この町ではそういうことは求められていないのだから、背景であることに徹していなさい、というようなことを言われた。
なるほど、と思った。それまで僕は、店員というのは積極的に何かをする人間だと思っていたが、この店=町では、そうした積極性が必ずしも歓迎されるわけではなかったのだった。客は僕と話をするために来ているのではなく、本を読んだり、誰かと話をしたり、あるいは何もしないために来ている。その時間を極力邪魔しないことも、店員の立派な仕事なのである。その点、マスターがいる日には、僕自身が椅子に座って話を聞いているだけでよかったのだから、なかなか不思議な職場だった。
ただ、このとき言われた「自分を出すな」という言葉は、その後も何となく記憶に残っている。自分を出さないというのは、必ずしも何もしない、ということではない。店員として必要な仕事はするが、その仕事をしている自分自身を、ことさらに客に見せる必要はない。

神保町より。撮影=北村
ところで、当時の僕は、アルバイト代というまとまった収入を手にするようになり、調子に乗って渋谷の神南あたりで服を買い始めた時期でもあった。いろいろなブランドを知ったのもこの頃だったように思うが、何を買えばよいのか、自分でもよくわかっていなかった。気に入ったものを一つずつ買っていくのだが、それらを組み合わせれば、必ずしも気に入った格好になるわけではなく、そもそも、自分がどのような服を欲しがっているのかさえ、まだよくわかっていなかった。
そんな時期に、僕はラカンの『アンコール』を読んで、衣服についての短い文章を書いていた。ベルニーニの彫刻《聖テレジアの法悦》を取り上げ、天使が聖女の身体ではなく、その修道服をつまんでいることについて論じたものだった。

ラカンの『アンコール』。撮影=北村
《聖テレジアの法悦》は、ラカンの『アンコール』の表紙にも用いられている作品であり、ラカンはこの彫刻を、「男性の享楽」とは異なるという「女性の享楽」について論じる際に取り上げていたのだが、当時の僕が気になったのは、テレジアの表情ではなく、彼女の衣服だった。なぜ天使はテレジア本人ではなく、その衣服にこそ触れているのだろうか。神秘的な「女性の享楽」というものを天使の到来が表象しているのだとしたら、厳密に言えば、その享楽に直接触れ得ているのは、テレジア本人というより、彼女の衣服である。
男性である僕は、通常であれば女性たる聖テレジア自体を羨ましがる(その態度こそが、ある意味で「男性の享楽」でもある)ところ、その衣服が羨ましく、そして僕自身が衣服自体になれたら、それはどんなに素敵なことだろうと思っていた。
普通、衣服は身体の上に付け加えられるものだと考えられている。しかし、あの彫刻のテレジアは、顔と手と足先を除けば、ほとんど修道服の襞(ひだ)に呑み込まれている。ぐったりと力の抜けた身体に代わって、激しく波打っているのは衣服の方だ。見る者は、その襞の流れから、隠れた身体の位置を読み取るしかない。
考えてみれば、ハンガーに吊るされたシャツにも、似たようなところがある。着る人間がいなくても、すでに襟があり、肩があり、袖があって、首や腕の収まる場所はあらかじめ決められている。服を着るとき、僕たちはその形に合わせて首を通し、腕を伸ばす。服を身体に合わせているようでいて、身体の方こそが、服に仕えているのである。
「服に着られている」という言い方がある。普通はあまり褒め言葉ではなく、服ばかりが立派で、本人がそれに負けているという意味だろう。しかし、服にまったく着られることなく、服を着ることなどできるのだろうか。服を選ぶのは自分でも、いったん着てしまえば、その服の形が自分の姿や振る舞いを決めることになる。しかも、必ずしもそれが不快なわけではなく、むしろ進んで服に着られたいと思うことさえある。
服装は自己表現だとよく言われるが、僕は、自分がどういう人間であるかを服の方に外注して決めてもらうのも悪くないと思っている。先にシャツがあり、僕はそこに首を通すだけ。服が用意している形に自分の身体を合わせていくうちに、いつのまにか「その服を着ている人間」になっている。自分の内面にある何かを表現するのではなく、外側にある形を引き受けることで、自分の姿がでっち上がるのだ。
あの店で僕に求められていたのも、自分らしい店員になることではなかった。店にはすでに店の雰囲気があり、客との距離の取り方があり、そこで働く人間に求められる振る舞いがあった。僕はそれを知らず、勝手に考えた理想の店員を演じようとしていた。しかし、店=町が必要としていたのは、そういう人間ではなかった。

神保町より。撮影=北村
そういえば、神保町の喫茶店で着ていたあのTシャツも、僕が働き始める前から店にあった。以前のアルバイトのお古だったことは確かだが、それが誰だったのかは知らない。やがてコロナ禍になり、通常営業もできないし、アルバイトを雇っていてもしょうがないから…ということで、僕はなんともよくわからないまま、ゆるく解雇されてしまった。
ところが、緊急事態宣言がある程度落ち着いた頃、突然、例の副店長から電話がかかってきた。Tシャツを返してほしいというのである。仕事に戻ってほしいわけではなく、Tシャツだけは返してほしいらしかった。黒とも紺ともつかない、コーヒーの匂いが染みついた、首のすっかりヨレたTシャツである。そんなものをどうするのかと思ったが、とにかく、それだけは返してほしいということだった。
店員は入れ替わるが、Tシャツは店に残る。僕が働き始める前にも誰かが着ていて、僕が辞めた後にも、おそらく別の誰かが着たのだろう。そのたびに中身は入れ替わるが、Tシャツの方は変わらない。考えてみれば、あの店で働いていたのは、僕ではなく、Tシャツの方だったのかもしれない。
ただ僕は、首を貸していただけ、だったのだ。
メッシュワークでは、リサーチのプロジェクト伴走や研修の実施など、皆様からのご依頼を受け付けています。ご相談だけでも構いませんので、お気軽にお問い合わせください。
すでに登録済みの方は こちら
